【今を生きる】三重県四日市市の野菜農家が感じている想い

みなさん、ごきげんよう。

三重県四日市市、上海老町にて茄子、小松菜を栽培している野菜農家のナスケンと申します。

「御座候(ござそうろう)」といお菓子というかおまんじゅうというか、が大好きです。

→ナスケンの日々の発信がご覧いただけるTwitterはこちらから 

今を生きるとは

今日は12月1日。

同じ上海老町内でキュウリ農家として百姓をしているしなやんと共に町内の「衣比原御厨神明社」という神社の清掃を始めて半年くらいかな。

僕がこの地に生まれて32年。

こんなに地元を意識することは今の今まで無かったです。

ましてやこの神社に来たのなんて32年生きてきて2、3回。

それがこの2018年はどうだろう。トータルで10回以上は来ているか。

なんでなんだろう。

いくつか要因はあるけど、間違いないことは「自分の人生を生きる」と決意したから。

僕は高校に入学して野球部に入るもその練習の厳しさについて行けず退部。

そのまま学校も自主退学。

そこから長い、息苦しいトンネルの中を彷徨うかのような日常でした。

そのあたりは過去のブログに想いを綴っています。

→「自主退学、そして会社員時代」のブログはこちらから 

親が敷いたレールの上を親のために歩んでいく、という人生も素晴らしいだろう。

が、僕にはそれが出来なかった。

だから、そのレールから自分が外れた(脱線)時、どうしたらいいのか分からなかった。

その時に初めて「自分で決断していく」ことの大切さを理解した。

「決断」とは「物事を決める」ことだけじゃない。

「決めて、断つ」ことが決断である。

「誰かの笑顔のために自らを犠牲にする」ことが美徳とされるように感じている、僕は。

美徳なのかもしれない…けど、それってどうなんだ?

自らを満たした上で、「あなたの笑顔のために」というのであればより使命感というか、想いを強く持てると僕は考えています。

そんな考えから「今を生きる」という考えを強く持つようになりました。

いつどうなるか分からない

別に不安を煽りたいわけではないんです。

ただ、僕たちの「今」は過去の生きてきた人たちの「死」の上に成り立っている。

そして野菜農家だからこそ感じる自然の猛威や時代の変化に、本当に時間の大切さや自分1人の無力さを感じるようになりました。

今も、こうやってブログを書いているうちに世界の賢いであろう方達が世の中をどんどん変えていっている。

今日まで正しいと思っていたことが明日には非常識と揶揄されるのが今の時代。

「変わらないものはなんなのか」「変えるものはなんなのか」をハッキリとさせていく。

そう考えています。

周囲の人たちから見たらきっと「何をそんな生き急いでいるの」と感じられるだろう。

実際、自分の親に言われた言葉だし(笑)

「いや、むしろこれだけめまぐるしく変化していく時代なのに、何を呑気にしとんねん!」と言い返したい(親にはそう言い返した)。

そう。全ては自分自身の決断にかかってるんです。

この1ヶ月がどれほど大切か

「平成最後の…」とかよく聞きます。

「2018年はどんな年でしたか?」というようなフレーズもよく耳にします。

「いやいや、まだ12月あるやん」

っていうか振り返るんは後でええやろ。

「どんな1年でしたかって振り返ろうとする前に、今この瞬間をどう感じて生きるか、に注力しよや」

って。

過去から学ぶ事よりも、今この瞬間にチャレンジしていくことが大切だと。

だからこの2018年12月という1ヶ月はよりやりたい事に素直に、愚直に取り組んで、挑戦していく1ヶ月にする。

やってみろ俺!やってやる俺!やってやれ、俺!!!

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